だるまさん
菩提達磨
このイラストは寒さよけに頭から「被」と呼ばれた
掛け布団をかぶって坐禅している達磨大師の姿がもとに
なっているのだそうだ。
冬の寒い日に、これはやった覚えがある。
さて菩提達磨(ボーディダルマ)は嵩山少林寺を開いたと
伝えられ、禅宗の開祖となった。 ※1
インド人ともペルシャ人と伝えられている。
禅の語源は、サンスクリット語のディヤーナが
インドの口語の一つパーリ語のジャーナになり、
中国に渡って禅那(ゼンナ)、禅(ゼン)となった。
※1嵩山少林寺を開いたことについては諸説あります。
ディヤーナ
ディヤーナといえば、ヨガスートラ アシュタンガ(8支則)の
7番目で瞑想とも、静慮とも翻訳されている。
よく「禅は瞑想と違うんだ」説の主張を聞くが、止+観で
入定していくのだから大差ないのではないかと思っている。
そもそも達磨大師は
「ラージャヨガやってたんじゃねぇ?」
疑惑が自分の中で沸々。
さて、一般に言われている瞑想はプラティヤーハーラ(制感)の
ことで、ヨガの瞑想ではプラティヤーハーラ(制感)を保ちつつ、
ダーラナー(集中)、ディヤーナ(瞑想)とすすめて、
サマーディ(三昧※2)に達する。
ダーラナー(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧※2)を
3つセットでサンヤマ(綜制)という。禅にいうと止、観、定。
%2 密教では三摩地とも言う
ダーラナー(集中) 止
↓
ディヤーナ(瞑想) 観
↓
サマーディ(三昧) 定
少林寺と言えば少林拳
さてカンフー映画でおなじみ少林拳。達磨大師が
弟子たちを鍛えるため教えたのが少林拳が始まったと
伝えられている。
禅で長時間、集中し座り続けられるには強靭な肉体と
体力がいる。
始まりが達磨大師か否かには諸説あるが、いずれにせよ、
禅と言う座り続ける強靭な肉体養成のために
始められたようだ。
同様の理由から、インドでは体操のヨガ、
ハタ・ヨガが始められたようだ。
なぜ、瞑想?
瞑想について宗教家はともかく、昔から侍も禅を行っていた。
現代はマインドフルネス瞑想なんてのも流行り。禅も盛況。
全員が悟りを得ようとか、ムクティ(解脱)を目指しているわけではあるまい。
ストレス解消、創造力強化などいろいろ言われているけれど、
それだとちょっと説得力がちょっと弱い。
「人はなぜ、瞑想を行うか?」の問いに対して思想家 内田樹さんは
次のように答えた。
先人が瞑想という技法を発明したのは、もちろん、
「生き延びるチャンスを増大させるため」である。
これは断言してよい。
人類の祖先たちが創意工夫を凝らした心身の技術はすべて、
「生きる知恵と力を高める」ためのものである。
「修行論」内田樹(著)
サバイブ強化。生きるための一つの方法だったのかと腑に落ちた気がした。